
リビングの主役である、薄くてスマートな大型テレビ。
その画面に映る驚くほど鮮やかな映像を眺めながら、この魔法の箱が、かつてはガラクタと、一人の男の執念だけで生み出されたことを想像できるでしょうか。
私たちが当たり前に享受しているテクノロジーの歴史は、常に勝者の物語として語られます。
しかし、その輝かしい歴史の片隅には、光の当たらない「もう一つの物語」が、静かに眠っているのです。
これは、最終的に歴史の主流から消えてしまった「機械式テレビ」と、それに生涯を捧げた男、ジョン・ロジー・ベアードの、切なくも尊い物語です。
この記事を読み終える頃、あなたの家のテレビが、単なる家電ではなく、成功と挫折、そして発明に懸けた人間の情熱が詰まった、歴史の結晶に見えてくるはずです。
夢の源泉:「ここではないどこか」への渇望
なぜ、ベアードは「遠くを見る」という、途方もない夢に取り憑かれたのでしょうか。
その原点は、彼の少年時代にありました。
スコットランドの田舎町に生まれた彼は、生まれつき体が弱く、外で元気に遊び回ることもままならない、病弱な少年でした。
行動を制限された彼の心の中には、自らの肉体の限界を超えて、「ここではないどこか、遠い世界の出来事をこの目で見たい」という、切実な渇望が日に日に募っていきました。
彼の夢は、個人的なものだけではありませんでした。
電話で「声」が、無線で「音」が届くようになった20世紀初頭。
人々は熱狂し、「次は『姿』が届く時代が来るはずだ」と、世界中が期待に胸を膨らませていました。
ベアードは、個人的な渇望と時代の夢、その二つを一身に背負った挑戦者だったのです。
寄り道と挫折:発明家、ビジネスに挑む
大学で電気工学を学んだベアードですが、すぐに発明の道に進んだわけではありません。
ここが、彼の人間臭いところです。
彼は一攫千金を夢見て、次々とビジネスに手を出します。
しかし、その商才は、発明の才とはほど遠いものでした。
- 防水靴下、その名も「ベアード靴下」: 彼は、靴下が濡れるのを防ぐため、靴下の下に履くもう一枚の靴下を開発。布にホウ砂を塗り込んで防水加工を施しましたが、これが全くの裏目に出ます。防水性はあっても通気性はゼロ。履いた人の足はすぐに汗で蒸れ上がり、不快極まりない代物だったのです。
- カリブ海のジャム工場: 次に彼はカリブ海の島に渡り、グアバなどのトロピカルフルーツを使ったジャム工場を立ち上げます。しかし、南国の自然は彼に牙を剥きました。工場は砂糖の匂いに引き寄せられた虫の大群に襲われ、衛生状態は最悪。結局、事業を畳んでほうほうの体で帰国します。
この一連の痛烈な失敗は、彼に二つのことを突きつけました。
それは、「自分はビジネスマンではなく、発明家として生きるしかない」という痛切な悟りと、悪化した健康、そして財布の底が見えるほどの資金難でした。
すべてを失い、失意の底にいた彼は、イギリス南部の静かな海辺の町で療養しながら、まるで最後の希望にすがるように、少年時代の夢に再び向き合うことになるのです。
発明の瞬間:執念がガラクタを魔法に変える時
資金も、立派な機材もありません。 ベアードの実験室は、ガラクタ置き場そのものでした。
- 本体は、拾ってきた茶箱。
- 映像を分解する円盤は、厚紙を切り抜いたもの。
- レンズは、自転車のライトから引っこ抜いたもの。
- そして、それらの部品を固定したのは、ロウソクのロウと編み針でした。
しかし、これは単なるヤケクソではありませんでした。
そこには、彼の創意工夫と執念が詰まっていたのです。
彼の方式の最大の壁は、「光」を「電気」に変える部品の性能でした。
テレビの仕組みとは、つまり、カメラで見た光を「電気信号」に変えて電線で送り、受け取った側でまた光に戻す、というもの。
この、光を電気に変える心臓部が「光電セル」でした。
今でいうソーラーパネルの、ごくごく原始的なものだと考えてみてください。
しかし、ベアードが使っていた当時の光電セルは、まるで性能の悪いソーラーパネルのようなものでした。
感度が絶望的に低く、ほんの少しの電気信号を生み出すためだけに、被写体に目も開けられないほどの強力な光を当てる必要があったのです。
その熱は、実験台の腹話術人形「ストゥーキー・ビル」の顔を黒く焼け焦がし、塗装をひび割れさせました。
そして1925年10月2日。
人形ではない、本物の人間の顔を映そうとしたその日。
彼は階下のオフィスで働く、当時20歳の青年ウィリアム・タイントンに「実験台になってくれないか」と頼み込みます。
しかし、灼熱のライトの前に座ったタイントンは、あまりの熱さに悲鳴を上げて逃げ出してしまいました。
普通の人間なら、ここで諦めるでしょう。
しかし、ベアードは違いました。彼はポケットからなけなしの金を掴み出すと、タイントンにこう言ったのです。「2シリング6ペンス払う。戻ってきてくれ!」と。
金に釣られて(あるいは根負けして)戻ってきたタイントンの顔を、彼はついに捉えました。
隣の部屋の受信機に、ぼんやりと、ピンク色がかって、明滅しながらも、確かに動く人間の顔が浮かび上がったのです。
世界で初めて「遠くの姿を見る」という夢が、執念と、わずかばかりの買収工作によって、現実になった瞬間でした。
ちなみに、歴史上初めてテレビに映った青年タイントンですが、その後の人生でテレビに出演することはほとんどありませんでした。
しかし彼は、灼熱のライトを浴びたにもかかわらず長生きし、後年、この歴史的な一日を「人生最高の日だった」と笑顔で語ったそうです。
彼の顔は、無事だったのです。
結論:敗者の夢が、未来の扉を開けた
しかし、歴史は時に非情です。
ベアードの「機械式テレビ」は、その後登場する、より高性能な「電子式テレビ」との熾烈な競争に敗れ、やがて歴史の表舞台から静かに姿を消していきます。
彼の夢は、商業的には成功したとは言えませんでした。
ですが、本当にそうでしょうか。
彼がガラクタの中から紡ぎ出した、あのぼんやりとした最初の光がなければ、テレビという概念そのものが、人々の間に広まるのはもっと遅れていたかもしれません。
あなたの家のテレビは、輝かしい成功者たちの技術だけでできているのではありません。
その歴史の片隅には、不器用に、しかし誰よりも情熱的に夢を追いかけた一人の「敗者」の、切なくも尊い物語が、確かに隠されているのです。
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